仏教と批判的合理主義

一心三観──天台教学の根本構造

leaf一心三観の実践

 前回の記事「観心を正しく実践しましょう」では、「我が己心を観じて十法界を見る」(本尊抄)ということは、自分が今、諸法をどのように見ているかということを観察することになるから、自身のものの見方(有、空、仮、中道のうちのどのような見方で諸法を見ているか)をモニタリングするということになると述べておいた。これは、一心三観の実践へとつながる。
 今回は、菅野博史さんの一心三観についての解説を引用しておくことにする。


leaf菅野博史さんの解説
 天台教学の根本構造は、三観によって三惑を破り、三諦を観察し、三智を完成することである。図式的にいえば、第一に、空観(すべての存在は空であることを観察すること)によって、見思惑を断じて、空諦(空という真理)を観察し、一切智を完成する。第二に、仮観(すべての存在は空であるが、条件によって仮りに成立していることを観察すること)によって、塵沙惑を断じて、仮諦(仮という真理)を観察し、道種智を完成する。第三に、中観(すべての存在が空に偏るのでもなく、仮に偏るのでもなく、それらを高次元で統合する中道であることを観察すること)によって、無明惑を断じて、中諦(中道という真理)を観察し、一切種智を完成することである。

一心三観の図


(『『法華玄義』を読む 天台思想入門』、大蔵出版、2013年、p. 37)

 見思惑は、見惑と思惑のことで、思惑は三界の道理に迷う煩悩で、思惑は三界の事象に迷う煩悩である。これらは界内の惑であり、三乗の人によって共通に断じられるので通惑という。塵沙惑は、無数の無知を意味し、菩薩によってのみ断じられるので別惑といい、界内、界外にわたる惑である。無明惑は、最も根源的で微細な煩悩であり、別惑、界外の惑と規定される。しかも、この三つの観察を同時に行なうことが究極的な立場と規定される。これを心を対象に行なうことを、一心三観といい、それに対応して、三諦円融、あるいは円融三諦という。これを智に当てはめると、三智も段階的ではなく、同時に獲得されるべきであるということになる。

(『『法華玄義』を読む 天台思想入門』、大蔵出版、2013年、p. 38)

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  1. 2018/04/17(火) 20:28:11|
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