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仏教と批判的合理主義

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天台学の三身説を理解しましょう

leaf五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」の意味

 日蓮は、法華経の寿量品の仏のことを「過去五百塵点劫のそのかみの仏」(「法蓮抄」)といいます。この場合の「そのかみ」は、「①事のあったその時。ある事がおこったその時。そのおり。そのとき。」(『日本国語大辞典 第二版 第八巻』、小学館、2001年、p. 469)という意味です。つまり、日蓮にとって寿量品の仏というのは、大昔のある時点で成仏した仏だということです。

 ところが、日蓮の「観心本尊抄」には「五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏」という表現が出てきます。五百塵点劫は過去のある時点のことなのに、その時点で「所顕」の仏をなぜ「無始の古仏」などと日蓮は言っているのでしょうか。実は、このことを理解するためには天台学の三身説を理解する必要があります。

 今回は、天台学の三身説を理解するための資料を以下に公開したいと思います。


leaf境・智・起用/法身・報身・応身

〇原文

就境爲法身。就智爲報身。起用爲應身。以得法身故常恒不變。

(『摩訶止観』、大正蔵第46巻、p. 85a)

●訓読

境に就て法身と為し、智に就て報身と為し、起用を応身と為す。法身を得るを以ての故に常恒に不変なり

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第13巻』、東方書院、1932年、p. 365)

leaf実相の境は仏天人の所作に非ず

〇原文

實相之境非佛天人所作。本自有之非適今也。故最居初。迷理故起惑。解理故生智。

(『法華玄義』、大正蔵第33巻、p. 698b)

●訓読

実相の境は仏天人の所作に非ず、本より自ら之有りて今に適るに非ず。故に最も初に居す。理に迷ふが故に惑を起し、理を解するが故に智を生ず。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第11巻』、東方書院、1931年、p. 75)

leaf境と智と和合するときは則ち因果あり

〇原文

境智和合則有因果。照境未窮名因。盡源爲果。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 128a)

●訓読

境と智と和合するときは、則ち因果あり。境を照して未だ窮まらざるを因と名け、源を尽すを果と為す。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、pp. 580-581)

leaf因果を撥無して一闡提となる

〇原文

十者撥無因果作一闡提。是爲十種順生死流昏倒造惡。

(『摩訶止観』、大正蔵第46巻、p. 40a)

●訓読

十には因果を撥無して一闡提と作る。是を、十種生死の流に順じて昏倒して悪を造ると為す。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第13巻』、東方書院、1932年、p. 172)

leaf報身に不滅を説くは必ず法身に約す

〇原文

法身當體明不滅。報身説不滅必約法身。〔中略〕應身説不滅須約法報。法報常然應用不絶。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 133b)

●訓読

法身は当体に不滅を明す。報身に不滅を説くは、必ず法身に約す。《中略》応身に不滅を説くは、須らく法報に約すべし。法報常然なれば応用絶えず

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、p. 604)

leaf本因妙/本果妙

〇原文

本因妙者。本初發菩提心。行菩薩道所修因也。〔中略〕明本果妙者。本初所行圓妙之因。契得究竟常樂我淨。乃是本果。

(『法華玄義』、大正蔵第33巻、p. 765a-b)

●訓読

本因妙とは本初に菩提心を発し、菩薩の道を行じて修する所の因なり。《中略》本果妙を明さば、本初所行の円妙の因は、常楽我浄を契得し究竟す、乃ち是れ本果なり。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第11巻』、東方書院、1931年、p. 353)

leaf本時道場・本昔道場

〇原文

復次如是三身種種功徳。悉是本時道場樹下先久成就。名之爲本。中間今日寂滅道場所成就者。名之爲迹。諸經所説本迹者。即寂滅道場所成法報爲本。從本所起勝劣兩應爲迹。今經所明取寂場及中間所成三身。皆名爲迹。取本昔道場所得三身。名之爲本。故與諸經爲異也。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 129a-b)

●訓読

復次に是の如きの三身種種の功徳は悉く是れ本時道場の樹下に先に久しく成就するところにして、之を名けて本と為す。中間に今日寂滅道場に成就する所のものを、之を名けて迹と為す。諸経に説く所の本迹は、即ち寂滅道場所成の法、報を本と為し、本より起す所の勝劣の両応を迹と為す。今経に明す所は、寂場及び中間所成の三身を取りて名けて迹と為し、本昔の道場に得る所の三身を取りて之を名けて本と為す。故に諸経と異ると為すなり。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、p. 586)

leaf正在報身

〇原文

此品詮量通明三身。若從別意正在報身。何以故義便文會。義便者。報身智慧上冥下契。三身宛足故言義便。文會者。我成佛已來甚大久遠。故能三世利益衆生。所成即法身。能成即報身。法報合故能益物故言文會。以此推之正意是論報身佛功徳也。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 129a)

●訓読

此品の詮量は通じて三身を明す。若し別の意に従はば、正しく報身に在り。何を以ての故に、義便に文会す。義便とは、報身の智慧は上に冥し下に契ふ。三身宛足す、故に義便と言ふ。文会とは、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なるが故に能く三世に衆生を利益したまふ。所成は即ち法身、能成は即ち報身、法と報と合するが故に能く物を益す、故に文会と言ふ。此を以て之を推すに、正意は是れ報身仏の功徳を論ずるなり。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、pp. 585-586)

leaf多宝・釈尊・分身/法身仏・報身仏・応身仏

〇原文

多寶表法佛。釋尊表報佛。分身表應佛。三佛雖三而不一異。應作如此説。如此信解也。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 113a)

●訓読

多宝は法仏を表じ、釈尊は報仏を表じ、分身は応仏を表ず。三仏は三なりと雖も而も一異ならず。応に此如く説き此の如く信解を作すべきなり。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、p. 510)

leaf但本極法身微妙深遠

〇原文

但本極法身微妙深遠。佛若不説。彌勒尚闇何況下地。何況凡夫。

(『法華玄義』、大正蔵第33巻、p. 766a)

●訓読

但本極の法身は微妙深遠なり、仏若し説かずんば弥勒も尚闇し。何に況や下地をや、何に況や凡夫をや

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第11巻』、東方書院、1931年、p. 357)

leaf境・智/多宝・釈迦─經を持するに由るが故に即ち三身を具す

〇原文

觀心解者。依經修觀與法身相應境智必會。如塔來證經。境智既會則大報圓滿。如釋迦與多寶同坐一座。以大報圓故隨機出應。如分身皆集。由多寶出故則三佛得顯。由持經故即具三身。

(『法華文句』、大正蔵第34巻、p. 113b-c)

●訓読

観心をもつて解すれば、経に依りて観を修すれば法身と相応じて境智必ず会す、塔来りて経を証するが如し。境智既に会すれば則ち大報円満す、釈迦と多宝と同じく一座に坐するが如し。大報円かなるを以ての故に機に随ひて応を出す、分身皆集まるが如し。多宝出づるに由るが故に即ち三仏顕るることを得、經を持するに由るが故に即ち三身を具す。

(国訳大蔵経編輯部編『昭和新纂国訳大蔵経 宗典部 第12巻』、東方書院、1932年、p. 512)

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