仏教と批判的合理主義

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発すべき言葉も見つからない

leaf 拙文を記録

  そううそさんのブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」内の記事「日蓮の過激な言動と創価学会教義とその批判」のコメント欄に書いた拙文を以下のところに記録しておきました。

ブログ「創価学会の信仰に功徳はあるか?」の記録
http://fallibilism.web.fc2.com/soukagakkai_usotuki.html


leaf 発する言葉も見つからない

  あれだけ詳しく説明しても通じなかったようなので、もはや、発すべき言葉も見つかりません。そっとしておくほかはないようです。

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  1. 2007/09/08(土) 16:13:02|
  2. その他
  3. | コメント:6
<<縁起→円融三諦→十如是→一念三千 | ホーム | 日蓮本仏論の亡霊>>

コメント

ようやく????

こんばんは。

 立正安国論においての解釈が理解できました。MCの影響の為か、自分の気にしている地獄論、罰論と関係しているためか、なかなか理解できないというか思考停止してしまうようです。

色々お手数をかけ申し訳ありません。今後とも宜しくお願いします。m(_ _)m
  1. 2007/09/08(土) 20:18:27 |
  2. URL |
  3. そううそ #-
  4. [ 編集]

そういえば...(危害を加えろという指導はなかったと思います)

私は大衆宗教団体内部において宗門への経済的戦い(布施を行わない)が重要(でありそれが日蓮の戦いの方法論)という指導があったのを記憶しています。
宗門へ危害を加えろという指導はなかったように思います(呪詛?であるかような奇妙な指導は一部にはありましたが)。
その一方で過去ではくまりんさんの御祖父(日蓮宗僧侶)は大衆宗教団体メンバーに危害を加えられたという話しがありました...
  1. 2007/09/09(日) 00:42:01 |
  2. URL |
  3. Leo@隠居 #k12f31x.
  4. [ 編集]

日蓮は破壊的カルトか?

 そううそさん、こんにちは。

 『立正安国論』に表明されている理念(「其の施を止む」)については理解されたということでよろしいでしょうか。

 もっとも、日蓮は、【理念のみを語る夢想家】などではなく、【現実主義者】です。日蓮が思い描いていた最良の現実的シナリオというのは、おそらく、【『立正安国論』の上奏を契機に公場対決が実現する】というものだったとおもいます。

 しかし、実際には、念仏者たちが個人的に法論を求めてきた程度であって(「論談敵対御書」、定本、p. 274)、【公場対決】などは実現しませんでした。それどころか、法論に敗れた念仏者たちが逆ギレして、松葉ヶ谷の法難が生じます。松葉ヶ谷の法難については、「下山御消息」に「夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ」(全集、p. 355)とあります(「数千人」というのはオーバーな表現でしょうが)。

 【殺害される】という最悪のシナリオだけはなんとか回避した日蓮でしたが、結局は、伊豆流罪とあいなりました。

───────────────
 此れを知りながら申さずば縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし、後生を恐れて申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて去ぬる文応の比・故最明寺入道殿に申し上げぬ、されども用い給う事なかりしかば、 念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に・かなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ

(「妙法比丘尼御返事」、全集、pp. 1412-1413)
───────────────

 日蓮は「申すならば流罪・死罪は一定なりと思い定めて〔中略〕故最明寺入道殿に申し上げぬ」といっていますから、【殺害される】という最悪のシナリオですら想定内だったということでしょう。「流罪・死罪は一定なりと思い定めて」といっていますので、最良のシナリオである【公場対決】の実現可能性についても、過度の期待は持っていなかったようにおもいます。

 さて、「其の施を止む」という理念を表明した日蓮ではありますが、【逆ギレして殺しにかかってくるような人たち】については、やはり、【国家権力によって重い処罰を下してもらう】しかないと考えていたにちがいありません。「其の施を止む」という理念は、国家権力に対してそのような処罰を求めることまでをも放棄するものではないということは明らかでしょう。

 じっさい、『立正安国論』の広本においては、「其の施を止む」という理念を堅持しつつも、場合によっては、「速かに重科に行」うべきであるということが補足されています(定本、p. 1474)。日蓮がこのように補足したのは、門下に対する圧力がだんたんと強まってきていた当時の状況をみて、【不当な輩に対する現実的な対応としては、国家権力に対して重い処罰を求めていくことも必要である】ということを門下に対して明確に示しておく必要性をこの時期に強く感じていたためであるとわたしはおもいます。

 また、第八問答の主人の結論である「然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さずして、皆此の善に帰せば、何なる難か並び起り、何なる災か競い来らん」という部分にはいかなる補足も修正もなされていませんから、「其の施を止む」という理念が広本においても堅持されていることは明らかです。

 さて、そううそさんは、以下の3つについて、どういったご意見をお持ちでしょうか。

  1.正当防衛

  2.自力救済

  3.国家権力による処罰

 日蓮は、1と3は肯定し、2は否定しているとおもいます。いわゆる「破壊的カルト」というのは、2を肯定するものをいうのではないでしょうか。
  1. 2007/09/09(日) 16:22:32 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
  4. [ 編集]

返事が遅くなって申し訳ありません。

こんばんは。

>『立正安国論』に表明されている理念(「其の施を止む」)については理解されたということでよろしいでしょうか。

はい。ようやくここはなんとか理解できました。

>さて、そううそさんは、以下の3つについて、どういったご意見をお持ちでしょうか。
>1.正当防衛

正当防衛については学会版の御書をみると下記のようにあります。

P0028
涅槃経に云く
(中略)
又云く「仏の言く、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり善男子正法を護持せん者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」と、又云く「若し五戒を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。

>善男子正法を護持せん者は
>正法を護るを為て乃ち大乗と名く
>正法を護る者

「護」という文字からして、ある程度の武器は持ちつつもあくまで正当防衛と言えそうですね。

>3.国家権力による処罰

これは記事にも書いたとおり、富士門BBSにあった意見でしたが既に賛成しています。

>場合によっては、「速かに重科に行」うべきであるということが補足されています(定本、p. 1474)。日蓮がこのように補足したのは、門下に対する圧力がだんたんと強まってきていた当時の状況をみて、【不当な輩に対する現実的な対応としては、国家権力に対して重い処罰を求めていくことも必要である】

Libraさんが引用して下さったように下記のように書かれているのが理由で良いと思います。

>場合によっては、「速かに重科に行」うべきであるということが補足されています(定本、p. 1474)。日蓮がこのように補足したのは、門下に対する圧力がだんたんと強まってきていた当時の状況をみて、【不当な輩に対する現実的な対応としては、国家権力に対して重い処罰を求めていくことも必要である】

というわけで、日蓮は、1と3は肯定しているとおもいます。

>2.自力救済
>いわゆる「破壊的カルト」というのは、2を肯定するものをいうのではないでしょうか。

たぶん違うと思うのですけれど、この自力救済というのは 「日蓮自身が救済される」 という意味でしょうか?
何らかの暴力行為から被害を受けたのであれば、経文上の諸天善神や国家権力の救済は必要だと日蓮は考えたかもしれませんね。
私は「国家権力による処罰」を求めていると思いますから少なくとも後者を必要としたと思います。
(前者は話がずれるので又別途。)

Libraさんの主張の流れからして自力救済の意味は「自力によって相手を救済する。」だと思います。自力によって相手をどんな方法でもいいから、例え殺してでも良いから救済するんだ、という意味で肯定するのであれば「破壊的カルト」だと思います。

日蓮は涅槃経の「破壊的カルト」思想よりも【公場対決】などの対話姿勢や「其の施を止む」という公的な「国家権力による処罰」を求める思想だったと思います。
  1. 2007/09/18(火) 23:03:40 |
  2. URL |
  3. そううそ #-
  4. [ 編集]

「自力救済」は法律用語

 そううそさん、こんばんは。ご返事ありがとうございました。

1.「自力救済」は法律用語
 「自力救済」というのは法律用語です。goo 辞典にものっています。『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説を参考にされてみてはいかがでしょうか。
  
  「自力救済」(Wikipedia)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8A%9B%E6%95%91%E6%B8%88

 いままさに殴られようとしているような時に、こちらも実力を行使してそれを防ぐというような場合には「正当防衛」といえますが、すでに殴られてしまった後に、後日、仲間をたくさんつれて個人的に仕返しにいくというのは「正当防衛」とはいえません。それは、たんなる「自力救済」です。


2.日蓮は比叡山と園城寺の合戦を批判している
 日蓮は、【比叡山(山門)と園城寺(寺門)の合戦】と【金剛峯寺と伝法院の合戦】をあわせて「二の禍」といって批判しています(以下に該当箇所を引用しておきます)。このような記述をみましても、日蓮が自力救済を否定していることは明らかではないでしょうか。


○日蓮「報恩抄」
───────────────
智証の門家・園城寺と慈覚の門家・叡山と修羅と悪竜と合戦ひまなし園城寺をやき叡山をやく、智証大師の本尊の慈氏菩薩もやけぬ慈覚大師の本尊・大講堂もやけぬ現身に無間地獄をかんぜり

〔中略〕

又高野山に本寺・伝法院といいし二の寺あり〔中略〕此の本末の二寺・昼夜に合戦あり例せば叡山・園城のごとし、誑惑のつもりて日本に二の禍の出現せるか


(「報恩抄」、全集、pp. 310-311)
───────────────


○藤井学先生の訳
───────────────
 智証の門家が拠る園城寺と慈覚の門家が拠る比叡山とは、阿修羅と悪龍のように合戦に暇なく、お互いに園城寺を焼いたり、比叡山を焼いたりする有様である。智証大師の本尊の慈氏菩薩〔すなわち弥勒菩薩〕も焼け、慈覚大師の本尊の大講堂〔の大日如来〕も焼けた。現身にお二人は無間地獄の苦を受けられているようである。

〔中略〕

 また、高野山には、本寺である金剛峯寺と伝法院という二つの寺がある。〔中略〕この本末の二寺は昼夜合戦し、ちょうど叡山と園城寺のようである。世間をあざむきまどわした誑惑の罪が積って、日本にこのような二つの禍を出現させたのであろうか。

(藤井学訳『大乗仏典 中国・日本篇 第24巻 日蓮』、中央公論社、1993年、pp. 208-209)
───────────────
  1. 2007/09/19(水) 00:56:07 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
  4. [ 編集]

いつも丁寧に有り難うございます。

こんにちは
お返事が遅くなって申し訳ありません。

>日蓮が自力救済を否定していることは明らかではないでしょうか。

はい。良く理解できました。

>このような記述

創価学会員だった私が「空」や「八正道」を知らなかったように、この記述に関する「園城寺と比叡山」「金剛峯寺と伝法院」などの歴史的な事も全然知りませんでした。ネット上であちこち読んでみましたが、日蓮は本当に良く学んでいたと思います。

いずれ、Libraさんの報恩抄の解説も探して読んでみたいと思います。

(それと実を言うと山中氏の本も読んでいます。)

ではでは
  1. 2007/09/30(日) 15:08:10 |
  2. URL |
  3. そううそ #-
  4. [ 編集]

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