仏教と批判的合理主義

「小樽問答」の勝敗

leaf 「創価学会と日蓮宗の『小樽問答』再現記録」

   『現代宗教研究』第40号(平成18年3月、http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho40.pdf)に、「創価学会と日蓮宗の『小樽問答』再現記録」という資料が掲載されていました(pp. 630-677)。

  なんでもっとはやく公開できなかったのかと残念に思いますが、とはいえ、これは大きな一歩となるでしょう。

  今回は、この再現記録を読んだ感想を少し書いてみます。


leaf 勝敗をつけうるレベルにまで議論が熟していない

  この記録を読むかぎりでは、【勝敗をつけうるレベルにまで議論が十分に熟していない】というほかないとおもいます。あと、討論の運営に関しては、創価学会側の司会者が、最初から、もっと積極的にヤジを制止すべきだったとおもいます(日蓮宗側の司会者は、最初から、ずっとヤジを制止しています)。

leaf MVPは誰か

  この記録に登場する人物の中で、もっともするどい意見をいった人物(MVP)をあげるとするなら、日蓮宗側の質問者のお一人だとおもいます。その方の質問だけ、以下に引用してみます(ヤジ部分は……にて省略します)。

質問 あのー、小平先生にご質問致します。……さきほどから、本尊問題についてかなりやかましくいわれております。……身延には本尊がないとか、あるとか、……大石寺派には板本尊があってそれが一番尊いとかいわれておりますが、……大聖人の書かれた本尊は、その時と場合によっていろいろ、その示表されておるところの、その形式が多少異なっております。……しかしながら我々は、そういう本尊の形式にこだわっておったのでは誠にこれは繁雑なことでありまして、……いったい本尊そのものが何を表現しているか、本尊は、本尊そのものが有難いのか、本尊に表現されておるものが有り難いのか、そこのところをはっきりとさせてもらいたいなと思います。……  恐らく本尊に表現させておるものが……、何を表現したのか、……何があるか、それをお伺いしたい。……本尊に表現されたその内容そのものが尊い、尊い。……だからしてそれを写し出したところの本尊も尊いということになる。……要するに今は違うけれども、……元は陛下は尊い。……であるからしてそれを写したところのお写真も尊いということになる。……であるから、その内容はどういうふうにあんたが把握しておられますか、それをお伺いしたい。

(「創価学会と日蓮宗の『小樽問答』再現記録」、『現代宗教研究』第40号、日蓮宗宗務院、2006年、p. 662、http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho40.pdf

  この質問者が、勝呂信静『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社、1965年)で示されているすぐれた見解(以下の資料を参照)を、小樽問答(1955年)の時点ですでに懐かれ、しかも、この公開討論の場できちんとお述べになっていたという事実は特筆すべきだとおもいます。

本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
http://fallibilism.web.fc2.com/107.html

leaf 小平芳平さんには本尊の形式と思想の区別がついていなかった

  このご質問に対して、創価学会側の講師のお一人である小平芳平さん(当時の教学部長)は、「何を質問しているか私には掴めない」などと回答されています。ということは、【小平さんには本尊の形式と思想の区別が全くついていなかった】といわざるをえないでしょう。

小平 えー、今のご質問は何を質問しているか私には掴めない。……天皇陛下がありがたいから、それを写した写真もありがたい。それじゃあ、……御本尊様をただ写して歩けばよいのですか。だから、だから、身延の山へ行けば、あっちでも、こっちでも、お安くまけておきますっていって御本尊を売るんでしょう。……

(同上、p. 663)

  たしかに、「身延の山へ行けば、あっちでも、こっちでも、お安くまけておきますっていって御本尊を売るんでしょう」というのは論ずべき問題ではありますが、しかし、そのような問題は、今の質問とは関係がない別の問題です。このような別の問題を、「それじゃあ」といって述べておられるのを見ますと、小平さんがじっさいに「何を質問しているか〔中略〕掴めな」かったということは明らかです。したがって、【小平さんには本尊の形式と思想の区別が全くついていなかった】といわざるをえません。

leaf 日蓮宗はおしかった

  もしも、この時、小平さんが本尊の思想についてのご自分のお考えをきちんとお述べになっていれば、この質問者は、浅井円道「創価学会の出現と問題点」(望月歓厚編『近代日本の法華仏教』所収、平楽寺書店、1968年)で示されているような見解(以下の資料を参照)をきちんとお述べになっていた可能性があるとおもいます。もしそこまで議論がいっていれば、創価学会はこの問答に敗れていたとわたしはおもいます。

同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
http://fallibilism.web.fc2.com/099.html

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  1. 2007/09/01(土) 03:39:59|
  2. その他
  3. | コメント:9
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コメント

Libraさん、こんばんは。

下記部分も結構問題に思いました。
「長谷川 本門は題目詮ずるところの一つの下地であるということを、よくお考え願いたいのでございます」
「小平 えー、本門は題目を詮ずるしたくですか・・・えっ・・・下地・・・下地はいらないんじゃないですか」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho40.pdf
これは名前を残して中身を捨てるといっているようなものです...
(パソコンの名前や筐体だけあれば中身は要らないんでしょうか?!)

これは、
○法華経を師匠と御憑み候へ(Libraさん)
http://fallibilism.web.fc2.com/z009.html
を思い起こさせます(大汗)。

また不思議な理論もみられました。
「XX側司会挨拶 何千何万とXXの信者になったということは、実にXXが正しいという証拠であります」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/pdf/syoho40.pdf
(この理論によるとインフルエンザが流行すればインフルエンザが「正しい」ということになってしまうのではないでしょうか?!)

これはまさに、
○ 肯定的証拠をいくら積み重ねても理論の正しさは証明されない
(小河原誠) 
http://fallibilism.web.fc2.com/057.html
なのですね。

小樽問答は後世においてXX側の結構突っ込み所満載の対話を隠蔽や改竄や決して賞賛や美化できない事実(原点)として残したという点で大きな意味があったのかもしれません。
  1. 2007/09/04(火) 01:04:48 |
  2. URL |
  3. Leo@隠居 #k12f31x.
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頭がさっぱり回転しない

 Leo さん、こんばんは。

 やっと自分のブログにコメントを書く時間が作れました。

 だけど、寝不足続きなので、うまい返しが思いつきません(涙)。

 今日のところはおとなしく寝るっす。
  1. 2007/09/05(水) 00:53:22 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
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こういうのはいかがでしょう

 Leo さん、こんばんは。

 うまい返しとはいきませんが、こういうのはいかがでしょうか。

 【題目さえあれば法華経の本門はいらない】などというのであれば、当然、【題目さえあれば法華経の迹門はいらない】ということになるでしょう。しかし、日蓮は、「迹門をよまじ」とか「迹門に得道あるべからず」とかいう考えを「不相伝の僻見」であり、「以ての外の謬」といっています。また、「常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」ともいっています。

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 抑も今の御状に云く教信の御房・観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候、所詮・在在・処処に迹門を捨てよと書きて候事は今我等が読む所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破し候なり

(「観心本尊得意抄」、全集、p. 972)
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御状に云く大田方の人人一向に迹門に得道あるべからずと申され候由・其の聞え候と是は以ての外の謬なり、御得意候へ

(「四菩薩造立抄」、全集、p. 989)
───────────────

───────────────
法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ

(「月水御書」、全集、p. 1201)
───────────────

 よって、【題目さえあれば法華経の本門はいらない】などという考えは、日蓮の考えとは大きく異なることが明らかです。そのような考えは、日蓮にとっては「不相伝の僻見」であり、「以ての外の謬」ということになるでしょう。
  1. 2007/09/05(水) 23:07:25 |
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  3. Libra #cNf7QC.Q
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なるほどです。

「不相伝の僻見」「以ての外の謬」でも大衆宗教には人が集まったということですね。
(非科学的口上や宣伝でも人が集まるように)
誤読が判明し本来なにを言いたかったが明らかになることこそルネサンスであり本門の時代であり教法流布の先後であるように思います。
せっかく大衆宗教に人が集まったり注目されたりしたのだから...これからは違いのわかる本格派(ホンマモン)に期待したいです。
  1. 2007/09/08(土) 00:48:07 |
  2. URL |
  3. Leo@隠居 #k12f31x.
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日蓮遺文学会

 わたしも「違いのわかる本格派(ホンマモン)に期待したい」です。

 日蓮宗、創価学会、正信会などがみんな参加して、「日蓮遺文学会」とか、そういう感じの学会を創設し、研究成果を発表する会合を毎年開いて、その成果を収録した研究雑誌をきちんと出すようにすればよいのではないでしょうか。

 それぞれの宗派に閉じこもっていては、学問が進歩するはずがありません。なんでこんな簡単なことがいまだにできないのかとても不思議です。
  1. 2007/09/08(土) 16:26:45 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
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夜明け前

>日蓮宗、創価学会、正信会などがみんな参加して、「日蓮遺文学会」とか、そういう感じの学会を創設し、研究成果を発表する会合を毎年開いて、その成果を収録した研究雑誌をきちんと出すようにすればよいのではないでしょうか。

それはホントの「学会」になります。正宗系宗派が独善に陥ることもなく正宗系宗派を蔑視することもなく...日蓮系の近代化ないしグローバリゼーションないしオープン化(脱神話化も含む?)は重要のようです。それに学問上の健全で論理的な戦いというのもあってしかるべきと思います(ヤジなどの圧力やプロパガンダに頼るのではなく)。

>それぞれの宗派に閉じこもっていては、学問が進歩するはずがありません。なんでこんな簡単なことがいまだにできないのかとても不思議です。

それは数の多数が真理という誤解によるものでしょうか。やはり学問が進歩しなければ学ぶ意味も拠り所も正しい実践もなく独善やトンデモに陥ってしまうのではないでしょうか。学問の進歩があってこその行学二道ですね。
  1. 2007/09/09(日) 00:07:58 |
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  3. Leo@隠居 #k12f31x.
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異常事態はいつまで続くのか

 Leo さん、こんばんは。

 「ホントの『学会』」がいまだに存在していないということじたいがどうかしてるとおもいます。このような異常事態はいつまで続くのでしょうか。

 「学問上の健全で論理的な戦い」は、日蓮宗も創価学会も望むところでしょう。なのになんで???


○日蓮宗の研究者の発言
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 現代における他宗との交流について思うに、日蓮聖人の教えが、まことの現世安穏後生善処の安楽を成就する唯一の法であると認識するならば、日蓮聖人の教えと異にする見解については、それは信仰の領域であるから、教義は教義で道理において正々堂々と、お互い真摯に法の勝利を求めて研鑽するように努力するべきである。

(山崎斎明「今成元昭師の『如説修行鈔偽書説』ならびに『摂折解釈』を批判する」、『現代宗教研究』第40号、2006年、p. 67)
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○『聖教新聞』の「羅針盤」
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本来、「対話」とは「格闘技」なのである。武器は「言葉」。リングは万人普遍の「理性」。権威をもちこむのは「反則」。なれあいは「八百長」。沈黙は「敗北」。論証もなく「私は、こう思うんだ」では、観客から笑われるだけだ。

(『聖教新聞』、2000年11月12日、8面)
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○創価学会の名誉会長の発言
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真摯な学問的成果なら、大いに受け入れるべきでしょう。

(池田大作他『法華経の智慧』第一巻、聖教新聞社、1996年、p. 91)
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  1. 2007/09/09(日) 17:09:03 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
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温故知新であり、またスルメのように噛めば噛むほど味が出る

折伏大行進と小樽問答
「法論に出席した多数の学会員に半ば力尽くでねじ伏せられてしまった。日蓮宗宗務院はこの事件後に法論を禁止、創価学会側も他の宗教団体からの公式な法論申し入れを断っている。なおこの問題における日蓮正宗の行動については、日蓮宗と創価学会の双方が逃げたと宣伝している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A
(Wikipedia)

上の記事では「半ば力尽くでねじ伏られてしまった」とあり、双方法論禁止となっているとのことです。
(法論禁止では小樽問答のやり直しというのは難しそうです...)

島田裕巳先生という方は「小樽問答を、もう一度やったらどうか」と仰っていたようです。
また片方が数で圧したというのは事実と違うのではないかとのことでした。
(独歩さんサイト「島田裕巳師が語った小樽問答への感想」 2005年)

私は上の記事を読んで、現代もう一度喧嘩したらということでなくむしろお互い共通点を見出すだのではないかという感触を得ました。
  1. 2007/09/12(水) 01:42:37 |
  2. URL |
  3. Leo@隠居 #k12f31x.
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島田裕巳先生

 Leo さん、こんばんは。

 恥ずかしながら、島田裕巳先生の本は1冊も読んだことがありません。新潮新書の『創価学会』すら読んでいません。例の中沢新一批判も読んでいません。お金と時間さえあれば、じっくりと読んで研究してみたいところではありますが、そういう幸運はやってきそうにありません。

 島田裕巳先生は、『寺門興隆』という雑誌で創価学会について論じられているようで、小樽問答についても書かれているようです。これも、いずれは、単行本として出版されることでしょう。
  1. 2007/09/13(木) 23:59:06 |
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  3. Libra #cNf7QC.Q
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