仏教と批判的合理主義

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全文検索システムを導入

leaf 全文検索システムを導入

  ホームページ「NOTHING TO YOU」のほとんどのページがサーチエンジンに登録されなくなってしまったので、これまで使用していたサイト内検索が使い物にならなくなってしまいました。

  そこで、以下のような全文検索システムを導入することにいたしました。

ブログ・HP内検索
http://search.gakuhotline.com/msearch.cgi

〔2007.09.24:利用者がほとんどおられなかったので、このサービスは終了します。〕


  このシステムでは、Leo さんの「Leo's home page」に記録して頂いている拙文も、このブログの記事も、すべて全文検索できるようになっています。〔2007.07.10注:Leo さんがホームページを閉鎖されましたので、拙文はすべて自分のホームページに回収いたしました。検索についても対応済です。〕

  「タイトルに○○を含むもの」という条件で検索したい場合には「t:○○」と、「URLに△△を含むもの」という条件で検索したい場合には「u:△△」と入力して下さい。

  例えば、「t:法華経 u:blog69.fc2」と入力すれば、タイトルに「法華経」を含むブログ(http://fallibilism.blog69.fc2.com/)の記事を検索することができます。

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  1. 2007/03/17(土) 18:34:40|
  2. その他
  3. | コメント:7
<<縁起と一念三千 | ホーム | 批判的合理主義入門>>

コメント

Libraさんこんばんは。

今回の全文検索システムもよいですね。
「初期仏教」をキーワードに検索すると...
3. 釈尊は祈祷や呪術に応じて魔力をふるう神秘を退けた(三枝充悳)
http://fallibilism.web.fc2.com/028.html
「初期仏教の性格を、しいて一言で表わすならば、透明で、理性的であり、ときに倫理的である、といえよう」
「総じて仏教は、つねにこの現実を直視し、凝視するという立場に基づく現実主義、と表現され得よう。」
((中村元・三枝充悳『バウッダ・佛教』)
という懐かしい記事が(これらは私が仏教を気に入っている点です)。
P.S.
最近ある方のブログにお邪魔したら「脱カルト系」中心になっておりました。自分は「脱カルト」にあまり馴染めないので(自分がカルトになっていないか問うことは重要と思いますし脱カルトなどのカウンセリング緊急に必要な人々もおられるでしょうが)自分的には学問系や学問的手法に期待しています。
  1. 2007/03/24(土) 21:51:13 |
  2. URL |
  3. Leo #k12f31x.
  4. [ 編集]

Leoさんこんばんは。

 Leo さん、こんばんは。コメントありがとうございました。
 昨今は、いろんなところでバトルが勃発しているようですが、幸いにも(?)、ここは静寂を保っております。
 Leo さんは「学問系や学問的手法に期待」されているとのことですが、桂紹隆先生の以下の発言についてはどのようにおもわれますか?
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どうも日本の学界では、書評の伝統というものがそもそも全く育っておりませんし、論争の伝統というのも全く確立されていません。
(桂紹隆「公開講演 袴谷・松本両氏の仏教理解に対する若干の異義申し立て」、http://wwwopac.komazawa-u.ac.jp/e-lib/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.EUC-JP/XC00620126/Body/jb011-01.html
───────────────
 「論争の伝統」が「全く確立されてい」ない「学界」などというものに一体どんな存在意義があるというのでしょう。そういえば、丸山真男が以下のように書いてからもうずいぶんたちますね。
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日本の論争の多くはこれだけの問題は解明もしくは整理され、これから先の問題が残されているというけじめがいっこうはっきりしないままに立ち消えになってゆく。そこでずっと後になって、何かのきっかけで実質的に同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる。
(丸山真男『日本の思想』、岩波新書、1961年、p. 7)
───────────────
  1. 2007/03/26(月) 00:30:47 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
  4. [ 編集]

するどいツッコミです。

私が「学問系や学問的手法に期待」というのは少しお恥ずかしい話ですが...(私は学者でも研究者でもないですが、だからといってそういう個人が無知蒙昧状態に甘んじているべきでないと思っております(ヘンな言い方ですが...))
>Leo さんは「学問系や学問的手法に期待」されているとのことですが、桂紹隆先生の以下の発言についてはどのようにおもわれますか?
(私がLibraさんにインターネットで最初にお会いした時期にLibraさんが「議論を盛んにしたい」と発言されてされていたことを記憶しているのですが、インターネットだけでなく)「日本の学界」でも人格攻撃があったり「論争の伝統というのも全く確立」されていない、という講演があったというのは驚きです。
>そういえば、丸山真男が以下のように書いてからもうずいぶんたちますね。
その記事は頭の隅っこに記憶しています(耳の痛い話です)。
P.S.
>昨今は、いろんなところでバトルが勃発しているようですが、幸いにも(?)、ここは静寂を保っております。
バトルは何のことかと思い探して久々にSさんのブログを拝見しましたが昨年から続いている騒動
があるようです。Sさんも大変と思いますが感情論の激しい方々がおられるのですね。
  1. 2007/03/26(月) 01:08:37 |
  2. URL |
  3. Leo #k12f31x.
  4. [ 編集]

批判しーの、トツギーノ。

 Leo さん、こんばんは。
 引用した桂先生のご発言の「日本の学界」という部分は、「日本の〔仏教〕学界」というふうに限定して読むべきだとおもいます。以下に引用する「あとがき」の中では、ちゃんと「日本の仏教学界」と表現されています。
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(あとがき かなり勢い込んで駒澤へ乗り込んだつもりであったが、この拙い講演のあと、松本・袴谷両先生からは、大変紳士的かつ好意的な反論をお聞かせいただいたこと、吉津先生はじめ、他の聴衆の方々からも多くのご質問・ご意見をお聞かせいただいたことを深く感謝いたしております。日本の仏教学界に健全な論争の伝統が定着するように願って止みません。二〇〇五年六月十八日桂記)
(桂紹隆「公開講演 袴谷・松本両氏の仏教理解に対する若干の異義申し立て」、http://wwwopac.komazawa-u.ac.jp/e-lib/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.EUC-JP/XC00620126/Body/jb011-01.html
───────────────
 質疑応答において「大変紳士的かつ好意的な反論」があったのであれば、少なくともその場においては「健全な論争」があったということになるとおもいます。だとすれば、「日本の〔仏教〕学界では、…論争の伝統というのも全く確立されていません」という桂先生の驚くべき仮説はその場ですぐに反証されたということになるのではないでしょうか。実際、桂先生は、「あとがき」の中で、「日本の仏教学界に健全な論争の伝統が定着するように願って止みません」というふうに記されていますがが、これは要するに、「日本の仏教学界にも健全な論争の伝統は育っているけれども、まだ定着しているとまではいえない」というご認識に到達されたということでしょう。
 ちなみに、論争(批判)といえば、松本先生も以下のように書かれていましたね。
───────────────
…仏教では〝差異〟ということに最大の価値を見出す。我々人間が一人一人価値をもっているのも、一人一人が相互に異なっているからだ。…さて批判ということも、差異にこそその根拠がある。仏教に対するある人の解釈と他の人の解釈は大体同じだなどというのは、仏教的見方ではない。我々は二つの解釈の細部に見られる差異、実にトリビアルな差異にこそ最大の価値を認めねばならない。…ある先行する学説に対して、その後に述べられる学説がもつ関係は四つしかない。つまり、肯定と批判と無知と無視である。しかし単なる〝肯定〟ならば、同じ学説を繰返すことに意味はない。…〝無知〟というのは、先行する学説の存在を知らないことだが、これは致し方がない。後でそれを知ったとき、自説を修正しなければならない。しかし言うまでもなく〝無視〟ということが最悪であり、日本の学界に横行している。これを平和的共存というべきか。
(松本史朗『縁起と空─如来蔵思想批判─』、大蔵出版、1989年、p. 17)
───────────────
  1. 2007/03/26(月) 23:22:38 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
  4. [ 編集]

インターネットによる知識の拡大

トツギーノは何のことかわからなかったのですがYouTubeの動画でわかりました。
(ちなみにYouTubeは以前Mさんの紹介で知りました)
トツギーノ知らないのは地上波あまり観てないからかもしれないです。
インターネットは便利です。
(インターネットがなかったら私は批判的合理主義も仏教(!)も知ることはなかったかもしれないです)
知識の布施をされているLibraさんその他諸々の方に感謝です。
(全然関係ないですが...)
大衆宗教および大衆宗教批判におけるトツギーノ性(一点こだわり主義)。
  1. 2007/03/29(木) 01:30:59 |
  2. URL |
  3. Leo #k12f31x.
  4. [ 編集]

事後報告ですいません

はじめまして、プルートと申します。

仏教に興味がありまして、「創価学会をみんなで考えよう  仏教の源流 」を見させて頂きこちらも随分参考にさせて頂いてました。

他の方とネット上で”何を持って仏教とするか”をお話しするに当たり、資料集から抜粋転記させて頂きました。

コメントできないものと勝手に思い込んでいたので、断り無く使わせていただきましたこと、事後報告になってしまいましたが、すいませんでした。

全くの素人なのでとんちんかんも多分にありますが、松本先生の仏教解明の方法ー中村元説批判 等、私の疑問が解かれていく思いです。
ありがとうございました。
  1. 2007/07/26(木) 08:17:26 |
  2. URL |
  3. プルート #-
  4. [ 編集]

プルートさんへ

 プルートさん、はじめまして。

 わたしのブログにコメントしてくださる方などおられないものと勝手に思い込んでいたので、プルートさんのコメントに気がつくのが遅れてしまいました。もうしわけありませんでした。

 資料集は、わたしが引用した資料を置いているだけです(わたしは権利者ではありません)。ですから、資料の参照について、わたしに報告していただかなくても大丈夫です。ただ、権利者の利益が不当に害されるというようなことがあってはいけませんので、どうかその点だけお気をつけ下さい。

 わたしも全くの素人なのでとんちんかんだらけです。最近は仏教の勉強もろくにしていませんので、とんちんかん度は増すばかりです。もし新しい発見などがございましたら、どうかご教示ください。よろしくお願いいたします。
  1. 2007/07/28(土) 09:00:11 |
  2. URL |
  3. Libra #cNf7QC.Q
  4. [ 編集]

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