仏教と批判的合理主義

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

真理という名の迷宮

leafウィトゲンシュタイン批判

  ずっと忙しくてブログを更新する暇が全くなかったが、ちょっとだけ時間に余裕ができたので、小野不一氏のブログ「斧節」を読んでいて、思っていたことを書いておくことにする。

  小野氏の意見に賛成できる点を書いてみたところで何の役にも立たないし、何も生み出さないので、賛成できない点についてのみ書くことにするが、それとて、そのすべてを書く余裕など全然ありはしないので、以下に記すことは、賛成できない点のごく一部にすぎない。

  さて、小野氏は、「およそ語られうることは、明晰に語られうるし、語りえないものについては沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの説を高く評価しておられるようであるが(http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111205)、わたしから見れば、このような説を珍重するのはとても馬鹿らしく思える。

  これは、わたしがポッペリアンである以上、当然の判断だとも言えるが、いちおう、以下に、わたしなりの解説を試みてみたいと思う。

  〔2012.02.05 補足:ウィトゲンシュタイン研究者によれば、ウィトゲンシュタインの「安易な神秘主義」は「自己の哲学的目標に対する重大な背信」なのだそうだ(鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』、講談社、2003年、p. 83)。〕 [真理という名の迷宮]の続きを読む

スポンサーサイト

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2011/12/19(月) 04:39:17|
  2. 批判的合理主義
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

最新コメント

記事一覧

カテゴリー

プロフィール

Author: Libra

友だち追加

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。