そううそさんの記事「日蓮の過激な言動と創価学会教義とその批判」のコメント欄の中で、不軽菩薩について意見を述べました(2007-08-31 19:42:45)。今回は、それを記事にしておきます。
〝常に軽んぜられた〟という名の菩薩
みれいさんが「日蓮は即ち不軽菩薩たるべし」という文章を引用されましたので、不軽菩薩について少し解説しておきたいとおもいます(解説の後に、法華経の該当部分を引用しておきます)。
不軽菩薩というのは、正確には、【「常に軽んぜられた」という名前の菩薩】です。この菩薩は、その名前が示すとおり、常に、人びとから「非難され、侮辱され」た菩薩です。時には、「土くれや棒きれを投げつけ」られたりもしました。なぜ、そのようなことになったのかといいますと、それは、この菩薩が【人びとにとってはとても信じがたく、また望んでさえもいないこと】を言い続けたからなのです(人びとは、不軽菩薩の主張を「ほんとうでもなく、望んでもいない予言」といっています)。
ようするに、この菩薩は、日蓮の言葉を使って表現してみるならば、【「人の信不信はしらず・ありのままに申」し続け、そのことによって人びとから非難されつづけた菩薩】ということになります。
さて、その不軽菩薩の主張の中身は何かといいますと、それは、【どんな人でも菩薩行によって仏になれます】ということです(これは法華経の最も重要なテーマの1つです)。【仏になるはずの人をわたしは軽蔑しません】ともいっています。
この不軽菩薩の物語は、おそらく、法華経成立当時に優勢であった部派仏教の考えを批判したものであるとおもわれます。そのことは、「その世尊〔引用者注:威音王如来のこと〕が完全な涅槃にはいられたあとで、正しい教えが消滅し、正しい教えに似た教えも消滅しつつあり、かの(世尊の)教誡が思いあがった比丘たちによって攻撃されたとき、〝常に軽んぜられた(常不軽)〟という名の比丘である菩薩がいた」という文章から明らかだとおもいます。威音王如来の時代の話にしてありますが、そこでいわれている「思いあがった比丘たち」というのは、実質的には、法華経成立当時の部派仏教の比丘のことを指しているのだとおもいます。
以下、法華経の該当部分を引用しておきます。
その世尊〔引用者注:威音王如来のこと〕が完全な涅槃にはいられたあとで、正しい教えが消滅し、正しい教えに似た教えも消滅しつつあり、かの(世尊の)教誡が思いあがった比丘たちによって攻撃されたとき、〝常に軽んぜられた[3](常不軽)〟という名の比丘である菩薩がいた。得大勢よ、どうして、その菩薩大士は常不軽と呼ばれるのであろうか。得大勢よ、実は、その菩薩大士は、比丘にせよ比丘尼にせよ、信男にせよ信女にせよ、だれを見ても近づいて、こう言うのである。
『尊者がたよ、私はあなたがたを軽蔑いたしません。あなたがたは軽蔑されません。それはどうしてでしょうか。あなたがたはすべて、菩薩としての修行(菩薩道)を行ないなさい。そうすれば、将来、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来となるからであります』
このようにして、得大勢よ、その菩薩大士は、比丘でありながら、講説もせず、読詠もしない。ただ、だれを見ても、たとえ遠くにいる人でも、すべて近づいて右のように告げるだけである。比丘にせよ比丘尼にせよ、信男にせよ信女にせよ、だれにでも近づいてこう言う。
『ご婦人がたよ、私はあなたがたを軽蔑いたしません。あなたがたは軽蔑されません。それはどうしてでしょうか。あなたがたはすべて、菩薩としての修行を行ないなさい。そうすれば、将来、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来となるからであります』
得大勢よ、その菩薩大士は、そのとき、比丘にせよ比丘尼にせよ、信男にせよ信女にせよ、だれにでも右のように告げるのである。(告げられたものは)ほとんどすべて、彼に対して腹を立て、悪意をいだき、不信感をいだき、非難し、侮辱する。
『どうしてこの比丘は聞かれもしないのに、軽蔑の心をもたないなどとわれわれに吹聴するのであろう。この上ない正しい菩提を得るであろうと、ほんとうでもなく、望んでもいない予言をわれわれに与えるなどとは、(われわれに)自身を軽蔑させるものである』と。
さて、得大勢よ、その菩薩大士がこのように非難され、侮辱されるうちに、多くの年月がたつが、彼はだれに対しても腹を立てず、悪意を起こさない。そして彼が例のごとく告げるとき、土くれや棒きれを投げつける人々に対して、彼は遠くから大声を出して、『私はあなたがたを軽蔑いたしません』と告げた。(彼からこのように)いつも告げられていた、かの思いあがった比丘・比丘尼、信男・信女たちが、彼に常不軽という名を与えたのである。
(松濤誠廉・丹治昭義・桂紹隆『法華経Ⅱ』〔中公文庫〕、中央公論新社、2002年、pp. 166-168)
3 「常に軽んぜられた」とは、原語の sadAparibhUta を、「常に」sadA と「軽んぜられた」paribhUta の複合語と理解した結果である。この理解は、チベット語の訳名 rtag-tu brn~as-pa、『正法華』の「常被軽慢」と一致する。ところが、羅什は「常不軽」(けっして軽んぜぬもの)と訳している。原語を「常に」sadA と「軽んぜられなかった」aparibhUta の複合語と理解するのは可能であるが、このばあいは「けっして軽んぜられなかった」と受動の意味になり、羅什の訳名とも、以下の話の内容とも一致しない。萩原本三一八ページの脚注に aparibhUta を羅什のように能動にとる可能性が種々検討されているが、古典サンスクリットにかぎれば能動にとることは不可能である。しかしながら、以下においてこの菩薩はけっして他人を軽蔑しないことから、かえって、他人から軽蔑されたものとして描かれている。それゆえ、チベット訳、『正法華』の訳名とともに、羅什訳のそれも、いまのばあい十分意味をもつといえよう。したがって、以下菩薩の名としては、これまでの慣例に従い、羅什訳を用いることにする。
(同上、訳注、p. 283)
常不軽菩薩品の「不生瞋恚」
すでに述べたことから明らかなように、不軽菩薩の物語は【折伏の物語】なわけですが、折伏をするにあたってこの菩薩は「だれに対しても腹を立てず、悪意を起こさない」のです。羅什訳では、この部分は、「不生瞋恚」と訳されています。
【折伏をするにあたっては、「腹を立てず、悪意を起こさない(不生瞋恚)」という態度を貫かなければいけない】ということが、ちゃんと法華経の経文にあるということなのです。
「日蓮は即ち不軽菩薩為る可し」(「寺泊御書」、全集、p. 954)という日蓮は、「日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(「四菩薩造立抄」、全集、p. 989)といっているのですから、日蓮の弟子としては、当然、「腹を立てず、悪意を起こさない(不生瞋恚)」という態度で折伏をしなければなりません。
ちなみに、法華経の行者を守らない諸天善神に対しては、「瞋恚は善悪に通ずる者なり」(「諌暁八幡抄」、全集、p. 584)といって、日蓮は怒ったりしていますが、それは、人びとを成仏へと導く【折伏の問題とは全く関係がありません】。
折伏をするにあたっては、「腹を立てず、悪意を起こさない(不生瞋恚)」という態度を貫かなければならないということが法華経の経文にちゃんとありますので、「“怒りをあらわにして”仏敵をやっつけろ!やりこめろ!」というようなことをずっと言い続けている創価学会の人たちは、明らかに間違っているのです。また、日蓮の遺文を引用して、そのような誤った主張を正当化することもできません。「経文に分明ならば釈を尋ぬべからず」と日蓮じしんがいっています。
経文に分明ならば釈を尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何
(「撰時抄」、全集、p. 259)
Author: Libra
Twitter: @Libra_Critical